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250415

⚫︎ブログに父方の祖母のことを書いたの23年12月か。つい先月くらいの感じだった。
今年の3月頭に亡くなった。雪深い札幌で一人息子の父が小さな葬儀を執った。コロナ前までは私も年に1-2回顔を見に行っていたが、ここ数年はめっきりだった。骨壷と棺がピンクで春生まれの祖母にとても似合っていた。通夜か告別式だかで、司会者が祖母の若い頃のエピソードを語ってくれるのだが、初めて聞くことだらけで驚いた。市で1番の進学校に通っていたこと、設計事務所で図面を引いていたこと、東京で働いたこともあったこと。脳梗塞で倒れてから話すこともままならなくなっていたが、元気な時でも自分のことは何も語らずニコニコしている人だった。

⚫︎祖父についてもさまざまな話を聞いた。比喩ではなく周りの人間全員を敵視しながら生きてきたような人だったので、父の生家の周りは今でもうちの祖父を大嫌いな人たちばかり(つってももう老人ばかりだが)で関係のない息子である父は居心地が悪かったらしい。全ての人間に喧嘩を売るような祖父だったが唯一、嫁であるところのうちの母についての悪口だけは言ったことがなかったというエピソードが、通夜では美談として語られた。兄は祖父のことを、酔うとほがらかな人だったと言った。

⚫︎私は父方の祖父母について「一言でいうとこういう人だった」というのをいまひとつひり出せない。祖父の葬儀のとき、孫の自分が納棺師にどんなおじいちゃんでしたかと聞かれ、困って「面白いおじいちゃんだった」と答えたのをよく覚えている。おもろいジジイにしておいてやるか。祖母の通夜の最中に、祖父は孫たちから主に下の名前で呼び捨てにされ語られた。死んでからの方が愛されているかもしれない。

⚫︎母方の祖父母は比較的華々しい経歴の持ち主で、そんなことを話してもつまらないが、ただひとつだけ、母方の祖母のおかげで自分は絵を描いている。
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