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ムチムチ

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240826

以下は7月に書いた文章なので、すっかりリアルタイム性を失っているが、けっこうボリュームがあるので投稿する。

⚫︎わたしは若い頃結婚願望がなかったし、結婚する必要もないと思い込んでいたが、多分それは大きな思い違いだったな、と最近思う。 なんというか、“近しい人たちに自分の何をどれだけ施すか”の調整がずっと下手な人間だった。大人になる過程で、他人に自分なりの優しさや愛情を与えようとするたび、ことごとく失敗してきた感覚がある。ほんとうは自分の肉を切って与えたいのに相手は肉を求めていなかったり、逆に、こんなに飢えているのに肉を与えてくれないだなんてお前は冷たい、と言われたり、毎回いまひとつ噛み合わなかった。思い返せば当然だ。噛み合うほうがレアである。
その失敗体験はすべてではないにしろ自分の心の一部形づくってきた気がしていて、どちらかというと“自分が出力を調整しなくてよい・自立した存在”を無意識下でずっと求めていたように思う。合法的に(?)全力で愛情を注ぎ込める、安定した相手を欲していたし、それはたぶん友だちや単なる恋人では無理で、端的に言えば家族になれる相手でないとだめだった。

⚫︎7月、出張の帰りが終電ギリギリになり、新幹線乗り場まで500mダッシュする羽目になった私のLINEから、心身ともにおしまいの様相を嗅ぎ取った夫が色々と気を遣ってくれた。お言葉に甘えて家から1分くらいのところでいいので徒歩で迎えにきてほしいと頼んだ。
いつも思うんだけど、夜の帰り道って昼の行きに比べてボリュームがありすぎる。疲れてるし駅遠くだと夜道は怖いし、とてもじゃないが1人でこの分厚い移動時間をやり過ごすことはできない、と思うことがある。
夫はその日、終日リモートで外を歩きたかったからと駅まで足を伸ばしてくれた。駅から家までの十数分は、2人だと、今日あったことを話すのにとてもちょうどいいことがわかった。

⚫︎ていうか普通に夜の帰り道には嫌な記憶がある。以下性被害の話なので、読みたくない人はこのトピック含めた⚫︎3つぶんを読み飛ばしてね。
高校生のとき、塾の帰りに駅から自宅までの間に痴漢にあった。最寄駅からずっとぴったり後ろについてくる男がいて、変だなと思っていたら家のごく近くの地点でようやく、制服のスカートを引っ張られていたことに気づき(盗撮か覗きかな?)、とりあえず悲鳴をあげたらスカートで綱引きみたいになって、どさくさに紛れて股間を一瞬触ってきやがったあと、すぐに走って逃げていった。悲鳴を聞きつけた人がマンションのベランダから警察呼ぶ?と声をかけてくれたが断った。振り返ればおおごとにはならなかったものの、当時はかなりショックで結局家族には言えずじまいだった。悲しいことに性被害ってたぶん女なら当たり前みたいに一度や二度は遭遇するが、まじで家族に言いづらい。比較すると、学校でいじめられたことより打ち明けづらいかもしれない。
翌日も塾で帰りが遅くなった。痴漢にスカートを引っ張られていたことに気づいた地点をひとりで通るのがどうしても嫌で、家から徒歩3分のところだったので、兄に連絡して迎えにきてもらった。私が兄に頼みごとをするなんて部屋にクソでかいムカデが出たとき以来だっていうのに、理由を話さずだったからか死ぬほど嫌な顔をしていた。ごめんて。

⚫︎首都圏で6年間電車通学だったので、通学中の痴漢もトータル6〜7回くらいは遭った。ただ朝の電車の痴漢ってあまりにも数が多すぎるのか、女子校だったのもあって朝教室に入るとクラスメイトの誰かしらが「さっきまた痴漢いてさ〜」て感じでおしゃべりしていたので、みんなそんなもんかと慣れてしまっていた。なんかたまに少し変則的な触り方で痴漢トライしてくる奴が現れると、そのネタで持ちきりになったりした。自分の感覚では、足がつかないほどのピークの満員電車よりも、少し移動の余地がある時の方が遭遇率が高かったので、朝よりも帰りとかの方が奴らのいる頻度が高い印象がある。あと座ってるときの痴漢とかも意外といたな。哀れだった
SNSなんかで痴漢の話題があがると、子どもが被害に遭って傷付くのは許せないみたいな論調ばっか見るけど、子どもだって平時から痴漢に遭ってりゃ(ましてやクラスメイトみんなが同じような目に遭ってりゃ)ほとんどが慣れちまうのだ。だからこれは被害に遭って傷つくか否か以前の問題だ。傷つくからやっちゃいけないのではなくて、どんな状況であろうと他人の身体を勝手に触ってはいけないっていうシンプルなルールが軽んじられているのが問題なのだ。

⚫︎なんかすごい社会的な話になったけど。令和になっても痴漢は出没すると聞くから本当になんなんだろうなと思っている。あいつら本当になんなんですか?
痴漢だけじゃない。私の遭遇したところでいうと、なんか子どもの頃に駅の目立たないところで立って車の迎えを待っていたときすぐ横で立ちションし始めたジジイとか、飲み会のたびに居酒屋の男女共用便所で繰り返し盗撮カメラを設置してくる会社の偉いおじさんとか。全然ちがう表出の仕方してるだけで、なんかみんな核はおんなじなんじゃないかなと思う。

⚫︎全然話が変わる。業務上必要になったためイラストのコンペに初めて作品を出したのだけど、提出後に恥ずかしいほどナーバスになってしまった。こんな無意味なことないよと思いつつも、なぜこんな苛まれているのかの理由が腹落ちしてからは落ち着きを取り戻した。業務上必要ではあるが会社にとっても自分にとっても初めてのジャンルでもあるため対策もへったくれもあったもんじゃなくまあ結果が芳しくないであろうことは予想がつくし、出場することにかなりの意義があるゴール設定にはしてある、一応。じゃあなにがそんなに嫌かって、自分にとっての真の安寧の世界って自分の描いた絵の中にしかあり得ないのに、それが第三者によってジャッジされること、そういう場に安息の地をみすみす差し出さねばならない状況そのもの、などが苦しくて仕方ない、という至って小さくけれど切実な理由がそこにはある。自分の心のことだっていうのにこんなことすら1日のたうち回らなければろくに理解できないのだ。

⚫︎久しぶりにまとまった文章を書いた。起きたことを正確に書き起こすのってそれだけでかなり難しい。心の中を整理するためにブログを書こうと思っていたけど、こっちの方がハードル高いかもしれない。
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240309

⚫︎なんの自助努力もせずやれるのは多分ここまでだな…と、なんとなくだけど理解した日があり、自分のやるべきことや足りないことを解きつつ粛々と頑張ろうと思った。
反省の多い日々だが全然悪くない。悲観的にならず楽観視もしていない。ちゃんと現実を分析できている実感がある。きっと若い頃の自分だったら漠然とした不安ばかりがつのっておそらく逃避しているような状況だ。軌道を変えるなら今しかないのだ。

⚫︎仕事ではものすごいスピードで動いていて自分の中で比較的新しい分野に触れており、わりと充実している。 仕事でiPadを使う時間が増えると必然的に落書きも増える。裁量労働でほんとうによかった。

⚫︎感性は消耗品だ、と恩師がよく言っていた。確かにそうかもしれない。でも昔の自分が持ってた感性ってそんな立派だったっけ?とも思う。じつに抽象的な話だが消耗を防ぐ以外に方法はないのだろうか。

240127 1/4~5 長野

●1月頭に長野の松本本箱というブックホテルに泊まった。滞在中の観光はほぼせず、読書に没頭して過ごすという初めての体験だった。

●チェックインの機能が近場のカフェにあって、到着するとおやきと飲み物を出してくれた。ホテルの受付には新年らしくおみくじが置いてあり、引いてみると番号ごとにおすすめの書籍が載っていた。私が引いたのは西加奈子の『くもをさがす』というエッセイだった。露天風呂もそっちのけで早々に1階の書庫で読み始める。2/3ほど読んだところで、そっと現れたホテルの人が、号泣して顔がメチャクチャになっている私に「バーの時間ですので照明を暗くしてもよいですか」とていねいにたずねてくれた。いつのまにか夜になっていて、図書室のような空間の一間に地酒とカップが用意された。

●晩ご飯は野趣あふれるコースだった。蜂の子の佃煮、白樺のエキス、鹿のレバー、猪肉、蕎麦粉のニョッキ、いずれも初めて食べた。
たしかに好き嫌いは特にないと記入はしたが、蜂の子白樺猪肉に鯉と鹿まできたのは、さすがにちょっと想定以上にアクが強く、もうちょいスタンダードなものが恋しくなった。酒のペアリングはとても美味しかった。
帰って食事のレビューを調べたら、時期によるが普段のコースはもう少しニュートラルなものが出てくるようだ。新年だったからシェフが張り切ってたのかな。何にせよ自分では絶対に選ばない食材ばかりだったので、振り返ったいまは新体験ができてよかったかも。

●1階の図書館にある本はその場で読み放題だが、自分の部屋へ持って帰るには購入しなければならないので、西加奈子のエッセイと、何冊かデザインにまつわる本を買って部屋に戻った。部屋にも予め何冊かおすすめの本が用意されていて、そちらもかなり気になった。全部読もうと思ったらいくら時間があってもたりない。

●そんな感じで、本を読んだり露天風呂に入ったりして過ごした。

●北向きの部屋は眺めがとてもよく、遠くに雪を被ったアルプス山脈が見えた。わたしは遠くに山のある景色が好きである。小さい頃、東京と横浜の景色には(位置にもよるんだろうけど)山がなくてつまらないと思っていた。札幌は街中でもちゃんと山々が見えるから好きだった。

▼読んだもの、ぱらっとめくったもの、再読したもの
くもをさがす(西加奈子)
カミングアウト・レターズ(RYOJI/砂川秀樹)
えーえんとくちから(笹井宏之)
木村伊兵衛写真全集 昭和時代 第二巻
超動く家にて(宮内悠介)
アンジュール:ある犬の物語(ガブリエル・バンサン)
傷を愛せるか(宮地尚子)

▼開けなかったけど気になったもの
イザベラ・バードの旅(宮本常一)
タイトル忘れた何冊か

●松本本箱で買ったエッセイを家のベッドで読んでいたら夫に驚かれた。奇遇なことに著者が大学時代にゼミでお世話になった人らしい。世界は狭い。

●おばあちゃんは持ち直しました。よかった。

231215 10年間の夢

●施設に入っている父方の祖母がここのところ危篤状態にある。 
じつは10年ちかく前にも一度危なくなったことがあった。細かいことは忘れたが、その時は、わたしの親たちが医師と共に祖母の食事のいっさいをあきらめて胃瘻に切り替える判断をした。わたしは胃瘻というものをそのときまで知らず、病院の診察室ではじめて説明を聴き、泣いて退室した。おいしいごはんをちゃんと食べて喉を詰まらせて死んだ方がましだと思った。 
路傍の石ころを差し置いて祖母は、経口摂取はいっさいなしのまま寝たきりで10年生きた。結婚する少し前の2017年くらいまで、わたしは年に2回札幌への飛行機に乗り、施設へ続く山のふもとを歩いて、会ったところでろくに話せない祖母の様子をひとりで見に行った。 

●祖母は老後、趣味で音楽にかかわるようになって、地域の合唱団に所属していたらしい。祖父は祖母が自宅で倒れたあとしばらくひとりで暮らしていたが、息子であるわたしの父親に精神病院に入れられてすぐに死んだ。祖母は入院してから祖父のことを忘れてしまったので、その死は知らされることはなかった。ともかく夫婦ふたりで暮らしていた家は空き家になったので、きれいに保つために時々両親が手入れをした。 
リフォーム前、3階(北海道の家はたいてい1階がガレージなので実質2階だ)に祖母の小さな趣味部屋があり、そこには昔ながらのリードオルガンが置かれていた。祖父が死んだ直後、そこに入ったときの記憶が鮮明に残っている。
楽譜立てには、弾きかけの譜面が開いたまま置かれていて、そのすぐそばに私と母がピアノの発表会で連弾している写真が貼られていた。 

●もうすっかり祖母の生を諦めた親父に、おばあちゃんの遺影の頭頂部の合成をカメラ屋に頼んだけどうまくいってないからお前やってくれないかと頼まれ、仕事のあいまに祖母の写真をレタッチしている。元写真を見ると完全に頭頂は切れていたし、カメラ屋の仕上がりをみてもPhotoshopで最短経路で済ませようとしたらそらこうなるよな、という感じだった。合成だからってなんでもできるわけではないし無いものを産み出すのは手間だ、と父親に伝えたが、参考の頭頂部の写真をいくつか送るからいいようにやってくれと返された。 
そうはいっても送られてきたそれらは髪の長さはバラバラだし、アングルも全部ちがっている。でもいくつかを見比べてみると頭頂部が切れてしまっている最初の写真がいちばんいい顔で、葬式で見送るならこのおばあちゃんがいいなとも思う。 
ああでもないこうでもないと悩んでいると、「ついでに見つけたので送ります」というメッセージとともに、父母兄と私の家族4人で撮った(おそらく4人で行った最後の)旅行写真が後追いで送られてきた。嫌な親父だなと思った。

231214

あんまりまとめきれないまま、つれづれなるまま

●ポケモンスリープが楽しい。いつのまにか開始130日を越えていた。アプリゲームとしてはおそ松さんのぽこボール以来の個人的ヒットである。(ちなみにぽこボールはかなりレベルが上がっていたが、携帯を変えた時に初期化されてしまいやらなくなった。調べたところ公式で携帯間の引き継ぎサポートがとっくに終了しており、機種変のデータ引き継ぎは自己責任でやれとのことだった)
子どもの頃初代ポケモンに熱中する兄を眺めていたし、ポケモン自体は可愛くてフシギダネ飼いたいな〜と思ったこともあったけど、ポケモンバトルを自分でやってみると正直まるで面白いと思えなかった。その理由は当時は特に深掘りしなかったのだが、大人になって『名探偵ピカチュウ』なる映画を観て「これだ!!!!!!!!!!」となったのをよく覚えている。映画の中では生活の中に当たり前にポケモンがいた。相棒のようにポケモンを連れて楽しげに歩く人々。これだ!!!!!!強さなんか別に競わせなくていい、ポケモンと心を通い合わせることができさえすれば。
そしてようやくわかったのだけど、子どもの頃の自分はたぶん「なんでわざわざポケモン同士で闘わせなきゃいけないんだろう」と思っていたんだと思う。バトルがゲームの入り口になっていたからハマれなかったのだ。
とはいえ闘いそのものを忌避しているわけではなく、ポケスリを続けているうちに進化系の子たちが手に入るようになってくると(こいつらがバトったらどっちがつよいんだろう)などとしっかり考えるようになった。要は順番の問題なのだ。
ちなみに私のアイコンはコダックです。一瞬バリヤードに変えたんだけど戻した。コダック、映画内でいちばん可愛かったんだよね。

●コロナによって時代が変わったというような言説はその渦中のど真ん中にいる本当の当事者たちを取りこぼしてしまっているのではないか的なエッセイを読んで(いやちゃんと要約するともっと違う問題提起になるんだけど、まあとりあえず主観だけで簡素にまとめると)コロナによって世界が変わったなあと思っていた私は当時を振り返ったのだが、まあコロナそのものは置いといて、2020年もし強制的に世界の経済活動が止まらなかったら、私と夫はほぼ同時にダウンしていただろうなあと思う。
正確には2019年に私は一度ダウンしていて、精神面のものだったので完治はしないまま、とはいえ仕事は辞めたくないからと少しずつ取り戻していく過程でちょうどコロナがきた。取り戻すという行為が正解だったかはわからないまま、ダウンする前とは少し違う人間になったような気がする。

●というか私は常にめちゃくちゃ変化している。

230419

●印刷という概念を愛憎入り混じるまなざしで見つめて長い。自分の描いたものをたくさんの人間へふれまわろうとさえしなければ、描いた人間と受け手でたった一対一のコミュニケーションが完結ができるなら本来不要なものだ。描いた人間と見る人間が同じ紙面を分かち合えるならば、色を合わせるための色校正だって要らない。でも印刷技術がなければ大好きな漫画や小説を読むことができない。たった一枚の完成した絵をたったひとりに届けるだけでは、インターネットがある今もはやほんとうの世界の速さに気づくことすらかないやしない。ままならないよな。

●ありとあらゆる伝達手段について、とにかく“伝達対象人数の多さ”がすべてにおいてネックになっているよなと思うことが増えた。架空の人間を練り上げて何をぶつけたって空を切って向こう側にいる関係のない実在の人間にぶち当たるだけだ。

●何で最近こんなポエムなんだろう?て思うけどまともに打ち込む文章が久々なので思うところのある具象について語るのを敬遠しているふしがあるな。

230409

●今更おそ松さんを観まくっている。正直言うとリアルタイム放送時はなんとなく避けていたのだが、作業時や頭を空っぽにして観るのにはすごくちょうどいい。清々しいほどみんなクズで落ち着く。あと2期後半のOPとEDがとてもいい。
とか書いてたのが3月頭。4月頭のいま完全に沼ってしまった。あーあ……

●エルピスも平行して観た。軽くネタバレを含む。 4話くらいまではゆっくり観ていた(鈴木亮平があまりにも性的すぎる、ほぼ男女逆のハニートラップのようなものだ)けど途中から死ぬほど面白くなって一気見してしまった。村井がいいキャラだった。まさみをババア呼ばわりは絶対に許さないが。主人公ふたりは強い正義のヒーローではなく、かなり等身大の人間として描かれていた。リレーのバトンを渡し合うように、各自が自分の弱さと闘ったりすこしずつ事実を究明したり、少しずつ役割を果たしながら物語が進行していくのがよかった。

●私の人生をメチャクチャに破壊した懐かしのハチクロが、兄と長年の目的を果たした森田が帰ってくるところまで無料になっていたので読む。私は描かれる創作行為に何か面白く見せるための余計なドラマを持たせんとする物語が軒並み大嫌いだが、これはハチクロを信仰しているせいなのかもしれないなと思った。

●ほかにもリアルイベントにたくさん赴いた春だった。スノボも行った。絵をあんまり描いていない気がする。漫画をじっくり考える時間をとりたいな。

●今日行ってきた卒業イベントについてはツイッターに書いた。寂しい一方で忙しない気持ちがようやく落ち着きそう。

230224 目が合う

●素敵な絵や写真がツイッターのTLに流れてきたとき、基本的には「すごいからみんなも見てー!」って感じでRTするんだけどまれに「誰にも見せたくない」「自分のものにしたい」と強烈に感じるものがある。当然、描くときに真似たいとかそういう馬鹿な意味じゃない。この絵に真に対峙しているのは自分だけだという強い暗示にかかるような、そんな体験。誰もいない美術館でひとり目が合ってしまった一枚の絵を眺めるときのような。

●すこし話は逸れるが、売られているものと目が合ってしまうことがたまにある。買い物のとき、これは手元に置いておかねばなあという諦めに近い感覚だったり、これっきりだなんて許さないと執着に近い思いを持って購入することが。

●他者の描いた絵も棚にならぶ商品も、基本的には自分の世界の外側からやってくる。気さくな訪問者だったり、ときには侵略者じみた気配をまとう嫌なものがいたりする。

●スピってきた。原稿のせいです。

●最近あったことや思い出したことも一応書き留めてはいたけど、毎度のことだがタイムリーさがなくなってしまった。CHEMISTRYがテレビに出てて感動したんだけど、たぶんそんなん1ヶ月近く前だもんな。
そう、なんかね、自分と兄は家でも出かけていても旅先でもCHEMISTRYをところ構わず歌い倒していた。20年前、インドネシアの離島の海岸で退屈そうにCHEMISTRYを歌う子どもたちを見たあなた。それは私たちです。

230122 これは訓練ではない

年末年始特別版:タワー店長によるセレクト・アイテム〈マスターズチョイス〉年間ベスト編 - TOWER RECORDS ONLINE

●少し経つが“GHOST IN THE MACHINE DRUM”が上記のリンク内で2022年ベストのうちのひとつに選ばれていた。ファーストインプレッションからこの曲に溺れて死にたいくらい好きだなと思ったので嬉しい。紹介文にケンドリックラマーの名前が出ていて、そういえば“Never Catch Me”というキラーチューンにもこういう美しさがある。

●誕生日はストロワヤというウォッカを飲んだあと夫の予約してくれたお鮨屋さんへ行った。おいしいお寿司が食べられるって思ったら前日からソワソワして仕方なかった。あとウォッカってこれまでカクテルでしか飲んだことなかったんだけど、ゆっくりと時間をかけて飲むとすごく気持ちよく酔えることがわかった。蒸留酒なので体に負担が少ないらしい。絶対買おうと思ったけどこんなん手元にあったら毎日飲んじゃうな……

●毎年大体自分の誕生日あたりから気温がいっそう冷え込んだり都心に雪が降ったりする。今年もそうなった。

230104 微妙

●2022年の秋と冬はモブサイコのアニメと共に無事締め括ることができたものの、2022年の夏は『華様年華』4Kを映画館で観きれなかったのでまだ続いている感じがする。 ダンサー・イン・ザ・ダークを観て3日寝込むほど映画好きな叔母が、華様年華の公開当時?くらいにポスターかチラシかなんかを祖母の家の壁のあちこちに貼っていて、特に2階のトイレは便座の真正面にドーンとでかいのが貼ってあり、座るたび(あの背広のトニー・レオンがチャイナ服の女性の膝下を抱えるように項垂れているやつ。よく思いつくよなこんなポーズ)官能的な絵面を眺めながら用を足すことになり、大人ってややこしそうだなあと子ども心に微妙な気分だったのを思い出す。

●2022年買って良かったもの、色々考えたけどエアロバイクが真っ先に来る。外に出なくても1日20分ほど漕ぐだけで健康的な気持ちになれる。本当はもっと長時間漕いだほうがいいのかもしれないが運動は継続と習慣化が何よりも大切だと思っているので、とりあえずは。 あとSKⅡピテラエッセンス。多少吹き出物ができるので今はもう使うのやめたけど、下手な美白ものを使うよりも肌がめちゃくちゃ白くなってびっくりした。

●2023年1月1日にドラマ版池袋ウェストゲートパークがネトフリで配信開始したので喜んで視聴開始したんだけど結果的に微妙な体験になっている。なんか、自分がネトフリという媒体に求めているものって全ての要素で高い完成度が約束されたドラマであって、IWGPみたく不思議なローカル感(ああなんか90年代後半-00年あたりってこうだったよね〜って感じの)を醸し出しているものじゃないっぽいことがなんとなくわかった。アングラB級映画を3Dで観るみたいなちぐはぐ感がある。 内容も尖っているというか現在は完全に『こういうのはもう少なくとも公共の場ではなく内輪だけでやった方が……』というノリなのでTSUTAYAで一気に借りて観るとかの方が楽しめる気がする。

●そういえば2019年くらいに本屋でIWGP原作の最新刊を見かけてオッと思って買ったんだけど、作中で普通にカラーギャング達がスマホを使っている描写がありかなり切なかった。

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